ラマダン ― 信者の資質を磨く修行の月
信者である私たちは、ラマダンが訪れると喜びとともに、この神聖な月を迎えるための準備を整える必要があります。その準備には、ラマダンに関する知識や、その背後にある学問を身につけることも含まれます。 知識面では、単に断食の方法を学ぶだけでなく、断食という義務の本質や意味を理解することが大切です。 たとえば、 「断食をはじめ、アッラーがしもべたちに課した義務は、最初は実行が困難に感じられるかもしれませんが、実際には多くの祝福と恩恵が返ってくるものです。」 という考え方があります。なぜなら、実際のところ、義務には見合う報酬があり、アッラーの計算ではその価値はさらに大きいからです。 例を挙げるなら、ある時点で、人は仕事の負担を感じなくなり、感情ではなく、受け取る給料が正当であると納得できるようになるように、断食においても同様の意識改革が求められます。 アッラーを愛し、聖なるラマダンに断食の儀式を行う者は、アッラーの許しを得ることで、断食に対する負担感を感じず、大いなる報酬を期待できるのです。 また、断食の義務は、個人の内面を高める「ソリー」と、社会全体の調和を図る「ムスリー」の両面を育むためのものです。これら二つの美徳は、断食を通じて養われます。なぜなら、現実やコーランの教えを見ても、人間には多くの欠点があるからです。 こうした欠点を補うため、アッラーは私たちに、特定の目的をもった断食や、信者をより敬虔な存在に導くための規律を授けられたのです。 「敬虔な召使」とは、アッラー を常に崇拝し、礼拝を欠かさない者のことを指します。その一貫性が、個人としてだけでなく、他者との交流においても良い行いへとつながります。 さらに、アッラーは人類に対する警告と慈悲として、コーランに人間についての教えを残されています。これにより、人々は常に良い人間であろうと自覚し、アッラーへの崇拝の心を養うのです。 コーランに記されたアッラーの人間に関する注釈には、次のようなものがあります。 1. 人間は弱い存在である يُرِيدُ ٱللَّهُ أَن يُخَفِّفَ عَنكُمْۚ...